療育の意義~療育日記ブログ~1|療育との出会いと理由

☆療育日記
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今日から、娘とわたしの療育日記をはじめようと思う。

日記につき言葉遣いを「です、ます」口調にせずに。

書いてみようと思ったきっかけは、発達障害児の「療育」というものがまだまだ浸透していないと思うから。

療育って何?何しに行ってるの?

仕事があるから普通の保育園や幼稚園で別にいいんじゃないの?

一時自分にもそんな考えがあったけど、そんな思想は一切撤回したいような日々を送る私たちが療育をもっと知ってもらいたいと思ったから。

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保育園に入れてみてわかったこと

うちの娘は、生後0歳7か月で最初の保育園に入園した。早いと思う人もいるだろうけど、夫氏の給料だけでは食べていけないことはわかった上での妊娠で、2か月~預けられる園があるんだから働けばいい!そんな考えの末の妊娠と出産だったから、就職は急ぐ必要があった。

だから私は、生後2か月から仕事を探すため保育園活動。0歳1か月・2か月あたりは1日の殆どを寝て過ごす新生児。調べて電話をする時間はたっぷりだった。結局は保活をしたことがある人は知っていると思うけど、2か月~入園できるなんてよほどの条件の人。産休ママで兄弟がいて復職が決まっているとか。

やっと生後8か月で入園できる園が見つかり、同時に仕事にもありつけた。ところが保育園の洗礼とやらは想像をはるかに超えていた。娘は3か月間で退園。私は娘の発熱で休みすぎて研修すら終わらない。そしてびっくりするほど職場の風当たりが強すぎて、ヘトヘトになってコテンパンにやられて精神的にかなり攻撃されて職場を去った。

今思うとあんなに面接の時に0歳児がいるって言ったのに、ありゃないよな。蓋開けてみたら面接した人とは違う人の部署で、そこのリーダーは面接時の話を詳しく知らないんだとか。退職の日に何度も何度も「申し訳ありません。保育園に入れて見たら想像の何倍も子供が病気がちでどうしようどうしようとすごく悩んでいましたが、他に頼れる人がいなくて退職に至りました。お力に慣れず申し訳ありません。」と、各窓際をあいさつして回った日「また機会があったらうちの会社に声かけてね」なんて言われて社交辞令な返事をしてしてきた日を忘れないよ、私は。

とにかくもらった病気の治りが遅かった。私そっくり。私もニキビ潰しただけでも2週間とか平気でかさぶたにならない体質。とどめを刺したのは娘が風邪からの中耳炎で入院したこと。普通抗生物質で落ち着いてくるけど、効いてないから点滴入れてもらおう。血中の炎症反応が強い日が続き過ぎているからちゃんと治そうと言うことで、緊急入院。なんかこの子弱いな・・・。と思う私。

保育園をやめてからは近所の散歩ばかりしていたけど、1歳ちょっと前ぐらいから地域の児童館へ行ってみることにした。

話は少し戻って、保育園にいる時、担任の先生からの気になりごととして言われたこと。

「ずりばいもはいはいもしないから、試しに欲しそうなおもちゃをおいて自分で取りに行くか試したら、〇〇ちゃんはしなくて寝ている時以外は基本的に私たち保育士の膝の上なんです。普通はこのぐらいの子は欲しいおもちゃがあるから自分で動いてみるってことをしたがるんだけど・・・。」

と、言われ「10カ月健診で相談してみては?」と言うアドバイスのとおり保健センターで相談。

そのまま地域の発達支援センター内の小児科に紹介状が書かれた次第だった。私ものことは気になって児童館で興味のありそうなおもちゃをおいて見るも、自分では取りに行かない。う~ん。全く動かない。(笑)私の腕をひっぱって「う、う、う」おもちゃが伝えようとしてる。

児童館と言うのは行くのに度胸がいるもので、他のママに上手くとり入れてもらえるかとうつ病あがりな私はビビっていた。でも子供が保育園やめたら1日中暇をあそぶわけで、徐々に児童館へ行く回数を増やした。

そうこうしてるうちに発達支援センター内の小児科の受診待ちの順番がきた。紹介状を持って初めて診せた日、試しにママと子供を離してみましょう!と小児科医が私を部屋の隅まで移動させると、娘は「初はいはい」。(笑)

えええええええ!嘘。

先生も笑ってたけど、とりあえず身体能力的にははいはいもできるし、たぶん今自分で動けることに気が付きましたね!と。それからは「はいはい」をするようになり、ずりばいはすることなく終わった子だった。でも引き続き小児科には通うことになっていて、一応念のため発達の遅れとか機能不全とかの疑いが残されているかも知れないから足腰の様子をまた3カ月おきに診せて下さいと言われ、しばらく発達支援センター内小児科管轄のままだった。

その後1歳3か月頃には歩き始めて、平均的な歩き出しより遅めだけど中の下ぐらい?まだまだ遅い子もいるらしいからうちは大丈夫!と思ってた。ただ、違和感を感じてたのがこのあたりから。

私と離れることを異常に嫌がるし、児童館にいると私から一歩たりとも一人で動かない。他のママの子は勝手に児童館の外に出ちゃったりして大慌てしてるママもいるのに、私の娘は常に膝の上に常駐していて、おもちゃを取る時は私の腕を掴む。のちにわかる自閉症スペクトラムの子に現れやすいクレーン現象。

遊びに行ってるのに自分一人じゃ絶対に遊ばなくて常に私と。誰か違う人が来れば遊びをやめ、怯えて私に顔を埋める。担当の保健師がきても、何度か会っているはずなのにまったくなつかず怯えるか泣き叫ぶ。

1人でブランコすら乗れないのにブランコは乗りたい。子供用のブランコの椅子に私はサイズが合わないので(笑)傍にいることしか出来ないのに、体が触れていないと不安なのか一人じゃ座らない。

ちょっとトイレと児童館に常駐している保育士さんに預けようとすると、まるで捨てられるような勢いで泣き叫び全く一人じゃ待っていられない。

これらの様子を見ていた担当の保健師さんに「何か困りごとありませんか?」って言う定期的な連絡が来た時に、何となく相談した。すると、保健センター内に児童心理カウンセラーの方がいるから見てもらおうと提案してくれて、人が苦手なようだからそういった子が集まったセミナーに参加してみるように勧められると言う状況。

そんな中、冒頭で触れたように私は娘が保育園退園する前に仕事を辞めている。収入がない分、毎月お金がちゃんと減っていく中で、いよいよ出産手当金等の貯えが尽きようとしていた。

もうここで3人で暮らしているのは無理だ・・・。

毎月10万円ずつ足りない。節約して済む5千円とか1万円のレベルじゃない金額が足りてない。私のパート代そのまんまが足りない・・・。生活とはこういうものなのか。夫だけの給料じゃ足りないから私もパートをして二人の給料で生活を回していた。生後2か月から働けなくてとっくに火の車だった我が家は私の実家に転がり込むことに。

実家に戻ることを発達支援センター内小児科に伝えると、実家を管轄する保健所担当者に紹介状が書かれた。娘の状況を引き継ぐものだった。というのも、こういうことは引っ越して引っ越し先でそのまま消滅する話になりがちなんだそう。きちんと次につなげておきたいからと小児科医の働きかけで、自ら私の地元の保健所に電話をして下さった。

その内容は私たちは見ることが出来ないけど、恐らくは10か月健診から成長の遅れがあること、1歳半頃で出る平均的な言葉が出てないことなどが書かれていたはず。

そんなことは全然気にせず、私は地元に戻ってすぐ保育園活動。私の地元ではあまり待機児童はおらず、1歳8か月になる5月から入園できる園があった。

とにかく私から離れられないこと、離乳食後期~完了食に行けてないこと、園に2日行けば2週間かかるような病気の治り方でちょっと体が弱い気がするということを伝え、慣らし保育スタート!

予想的中、慣らし保育は結論から言うと慣らし保育は半年終わらなかった。

退園するまで、1日預かってもらった日が2・3日だったろうか。殆ど午前中もしくは週1回か2回、お昼寝直後にお迎えに行ってた。最初の1カ月の段階でこの状況を見て、個人事業主になろうと思ってた。

私もパートがとことん受からなくて参っていたのもあり。子供が小さいってだけでほんとに仕事、受からなくなったと実感する。

子育てママの仕事の現実を目の当たりにして、はじめて産休って現実的にまだまだ取りにくいけど産休が取れたら戻る会社あったのになぁと後悔してた。

半年慣らし保育が終わらない間に、先生たちからの提案もあり、また私ももう疲れていて。

行くたびに保育士さんから1日の様子を報告されて、もはやクレームにしか聞こえなくなる母の心。そんなつもりないんだろうけど、私はもう病んでいる・・・。

と言うのも園に行くまではルンルンだけどついたら離れない。泣き叫ぶ。

そんなに恐怖だろうかと心が痛む。

迎えに行くと、ちょっとだけのぞき見してる分にはおもちゃで遊んでて楽しそう。

でも私の顔をみて安心するのか大号泣。だけど、おもちゃを持って帰りたくてえびぞり泣き。玉の汗をかきながら保育園に通わせる日々。

特別に、娘にだけは帰りに気を引くためのおもちゃを持参することを許可頂いた。

他の園児のいる手前、本来なら私物のおもちゃを持ち込むのはNGだからよその子に見られた時「家から持ってきちゃダメなんだよ~」って突っつかれてやりにくくなったけどね。(笑)

と言うわけで、何が不安なのか何がそんなに緊張するのかわかってあげられず。

排尿も殆どなくて、おむつを持参しても殆ど減らないのが最初から半年続いた。

そこまで緊張してる?

可哀想になってきていたし、お茶が嫌いで家ではジュースしか飲めない子だったから園では限界ギリギリまで水分は我慢しているようだったのも気になってた。

このままでは健康を害する。

園に行ってるだけで飲めない食べれないおしっこ出来ない。

娘が弱りやすいのは目に見えていた。

お薬手帳を見てびっくりしたよ。

半年通ってて、たった1週間ぐらいしか薬飲んでない期間がなかった。

次々次々風邪だ、扁桃炎だ、手足口病にかかってまた園行くと手足口病にかかる娘。

出てくるおやつも食べられない、給食もほとんど食べられないものばっかり。

保育士さんが傍にいないと不安だからとにかく泣いてた。

なんで泣いてるのかわかってあげられなくて、保育士さんから「正直疲れちゃうけど泣いてる本人が一番疲れるよね」って言われたこともあった。

そんな娘を保健師さんに見に来てもらうことになっていた。保健師さんが園に様子を見に来た日、たまたま娘はみんなとなじんで遊んでいるように見えた日だったらしい。でもその日がそれがはじめてで、それ以降は普段通りの娘に戻ってとにかく大人がいないと不安がるから先生を独り占めと言う状態だったらしい。要するに、手のかかる子。

 

保健師さんから後日連絡があって、言語聴覚士さんの診断してみないかと言われ参加させてもらう。色んなテストを行ったのち、発達支援センターに「療育」を受けに行くことをすすめられる。娘の場合は週2回程度。そうは言わず3回でもいいぐらいだと。

ただ空きがないことが殆どだから、入ったらあとからもう1回増やせないか確認するといいと言うアドバイスを受ける。

発達支援事業と発達支援センターと言うのがあるけど、娘の場合2歳4か月時点でまだ小さすぎた。支援センターだと単独通園するんだけど、ママから離れられない2歳が一人で行けるわけない。幼稚園の年少よりも小さい年齢だから、母子通園からはじめましょうという提案だった。

恐らくこの段階でちょっと違う問題のお子様は、健康保険適用の医療機関の方をすすめられてすぐに発達障害の疑いがあれば発達検査だとかをするんだと思われる。

 

うーん。

言葉が遅いのはわかってたけど、やっぱりそうなんだ・・・。

自覚する。

保育園で喋る子見て、ビビった。え?このぐらいの子って普通にこのぐらい喋るようになるん?って。もうすっかり疲れて。個人事業主もやってたけど、そんなんどおだっていい!保育園を辞めた。

それから、私と娘の療育センター通所の日々がはじまることとなる。2歳4か月。

次回に続く。

ジャンヌ

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